緋山酔恭の「食べて食べられガラガラポン」 人を殺してもよいのか



 食べて食べられ


ガラガラポン





地に足をつけて生きよ!



人間の生活様式は

テクノロジーによって

その時代にひょっこりと現れたモノによって

変化していきます



電車がなかった時代は

ほとんどの人が

生れた村で親の家業を継いで


同じ村の異性と結婚し

一生を終えていたわけです



テレビもないし、他に楽しみがないから

子づくりが唯一の楽しみ

だから子だくさんだったのです(笑)




江戸時代の農村や漁村に生まれていたら

男子なら口べらしに


呉服屋とか油問屋とかに

丁稚(でっち)奉公にやられただろうし


女子なら女衒(ぜげん)とかいう

人身売買の仲介業者に買われ


遊郭に売られ、若いうちから客をとらされて

性病にかかって若死にしちゃう子も多かったことでしょう






今の時代、携帯やスマホによって

いつでもどこでも情報や知識を手にできます


それを考えると、人間の運命はガラガラポンと

テクノロジーという2つのラインで決定づけられている

と言えるのです




道具というのは、人間の欲求を充たすために存在し

人間がモノを支配しているように信じられていますが


むしろ、モノによって人間の世界は制限を受け

変化させられていると言えるのです




私の中学生の時代には

ノーパン喫茶なんてのが流行りました


そんな時代は「パンチラ」

という言葉だけで興奮できたものですが


今は、携帯で「パンツ」を検索すれば

パンツの写真がいくらでも出てくる時代です(笑)



平凡パンチが道に落ちていたら

みんなで拾いにいって、秘密基地に隠しておいたものです


今、平凡パンチが落ちてたって拾う子供なんかいないでしょ(笑)




本来、欲求というのは、たまっていって

圧縮され、その反動で押し出されたり

爆発したりする形で発散されるものです



ところが、現代は、いつでもどこでも、情報を得えることができ

見れちゃうし、聞けちゃうし、バーチャル的な体験もできちゃいます


冒険も、恋愛も、格闘もできてしまうのです



そうなると、欲求が少しずつ発散されているから

大きな爆発が起こらなくなっているのかもしれません


これは性欲に限らず、全ての欲求に対して言えることです




また昔は、お金がなければ飲んだり食べたりもできないから

家にこもるしかなかったのですが


今はこもるといっても

ネットで世界とつながっています 書き込みもできちゃいます



引きこもりといっても、なにが引きこもりか訳がわかりません

世界とつながっているわけですから(笑)




そうした結果、人間の欲求が小出しにされているというのは

テクノロジーというラインが人間の生活様式ばかりでなく

欲求を発散する形をも変えていくことを意味しているのです






イギリス産業革命は1760年代に始まるとされます


1785年には、ジェームズ・ワットが

蒸気機関を改良し、蒸気機関のピストン運動(往復直線運動)

のエネルギーを円運動へと転換させることに成功します


これにより蒸気機関の動力としての範囲が広がり

様々な機械に応用されるようになり

イギリスのみならず世界中で産業革命が推進されていったといいます



では、仮に、ワットの蒸気機関の改良が15年遅れていたとしましょう



すると、新左翼〔急進的な革命や暴力革命を掲げて

運動を展開した諸勢力。大学生などを中心に台頭〕が活躍した

1970年代が85年以降となり、私は20代です


当時は、みんなあたりまえのように学生運動に参加していき

そうした中から「国家体制を打倒しよう」という

革命運動へと広がっていったものが

新左翼なわけですから


私が新左翼の活動に身を投じていた可能性だって十分あり得えます



そしたら、テロかなんかやって北朝鮮に逃げて

指名手配犯で、今もそこに潜伏しているかもしれません(笑)




また、ワットの蒸気機関の改良とか

エジソンの電力の事業化なんかがもう少し遅れていたとしたら

今は、太平洋戦争のまっただなかだったかもしれません


徴兵され、こわい上官からひっぱたかれているかもしれないし

キャバ譲は、軍事工場で働かされているかもしれません(笑)






そう考えると

よく「地に足をつけて生きていきなさい」

なんて言いますが

どう生きようと、正解も不正解もないような感じです


我々は、今、この原子の組み合わせによって

今、このタイミングで、この世界に生きているのです



≪人間の運命はガラガラポンとテクノロジーという

2つのラインで決定づけられている≫

といったうちのガラガラポンです


それとともに我々の運命は

その時代のテクノロジーに大きく依存しているのです



テクノロジーという運命の横のライン、時間軸が引かれていく

そのラインのある時代に


ガラガラポンという縦のラインがクロスする

我々が生み落とされてくるのです



そして、その時代、時代の

言葉のバーチャルな世界にだまされつつ

≪自分が自分として存在≫しているなんて

思い込みつつ生涯を終えるわけです(笑)




まぁ「地に足をつけて生きていきなさい」というのは

そんな中でも、しっかり自分を見つめて生きていきなさい

ってことなんでしょうけど…




ただひとつだけ言えることは

幸福の源泉は


いつの時代も

自分の「救済原理」

(自分自身を成り立たせる根源的な論理)

自分の「存在根拠」にあるわけですから



「地に足をつけて生きていきなさい」というのは

それを見つけ出して生きていきなさい

ということになるかと思います




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