緋山酔恭の「食べて食べられガラガラポン」 人を殺してもよいのか



 食べて食べられ


ガラガラポン





完全確率のガラガラポン



宇宙に存在する全ての原子の運動量と位置を

知ることができれば未来を予測できる


サイコロの目は、どのようにサイコロを持ち

どのような高さから角度をつけて

どれくらいの強さと速さで振り出すか


さらにそのときの、空気の流れなど全ての条件を

把握することができていれば、予測できる



そんな力学的視点から

ラプラスの悪魔のような

「決定論的世界観」なんかが生まれてくるとしても


現実には、我々の世界って

ランダム(無作為)と言えますよね



なぜなら予測できないのですから・・・・




人間(サイコロを振る人)の心が介在すると

予測は、さらに難しくなります


その意味において

人間の心(作為)がより多く介在すると

世界には、より多くランダム(無作為)が生まれてくると言えます





【 我々の世界は

ランダム(無作為)と言える

なぜなら予測できないのだから 】

と書きましたが


木の葉がいつどこに落ちるかなんて誰にも予測できません



食べたあんパンのクズがどこに落ち

またそのクズがどこへ飛んでいって


飛んでいった場所で

どんな種類の微生物がどれくらい増えるなんて

人間にはわかりっこないですよ(笑)




ほんのちょっとの違いが無限に積み重なって

1つの現象としてあらわれているのです



例えば「チョコモナカのアイス食いたいな」と

チョコモナカのアイスをスーパーに買いに行ったところ


新発売の抹茶のアイスがあった

そこで抹茶のアイスを買ったといったように

ちょっとしたことで結果が違ってきてしまいます



チョコもなかのアイスと抹茶のアイスではカロリーが違う

だから食べた自分の結果が違ってきちゃいます




タコ焼き食べようとお祭りに行ったら

イカ焼きが旨そうだったので、イカ焼きを食べました


すると本来、タコが自分の体の一部となるはずが

イカが自分の一部となるわけです(笑)






福引のガラガラは、完全確率

(過去の抽選に影響されずに1回1回が独立した抽選)

ではありません


過去の抽選結果に後の抽選結果が影響されるので

完全確率ではないのです


ハズレの玉が99個で、当たりの玉が1個だった場合

1回目は当たりが出る確率は1/100ですが

2回目には1/99になります


抽選が終わるたびに

玉をガラガラに戻せば完全確率になりますが・・・


( 完全確率は、確率論と統計学では「独立同分布」という )




これに対し、≪タコ焼き食べようとお祭りに行ったら

イカ焼きが旨そうだったので、イカ焼きを食べた≫


こうした人間のガラガラポンの場合

完全確率と言えますよね




さらに

人が死に土葬されたなら

小動物や昆虫や微生物によって食べられ

分解されたりして、その生物の体の一部となります


火葬ならば、灰となり、土にまかれれば、土の一部になるし

また植物に肥料として吸収されてその一部となります


その植物また、他のモノに食べられることで

その一部となってゆく・・・




このように分子や原子は、福引きさながら

ガラガラポン=ランダム という法則もと


カエルの一部となるときもあれば

人間の一部として生まれてくるときもあるし

土の一部や草の一部になるときもあります



また、自分の身体の原子や分子は、宇宙のチリだったり

太古の地球の海だったり、恐竜の血液だったり

した可能性もあるのです




何が何を何しようと




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