20世紀最大の哲学者 ウィトゲンシュタイン・言語ゲームへの挑戦!!



 言葉と世界


20世紀最大の哲学者

ウィトゲンシュタインへの挑戦


 




神とにんにくたまご



「神」も人間の都合によって

言葉として作られた存在なんじゃないのか?

ですって




新約聖書の「ヨハネの福音書」の書き出しは


≪ 初めに言(ことば)があった

言は神とともにあった。この方は初めに神とともにあった

すべてのことは彼により成り、彼によらず成ったものは何一つなかった

彼において成ったものは命であり、その命は人々の光であった

その光は闇の中で輝き、闇は光に打ち勝てなかった ≫ です




【 初めに言(ことば)があった

言は神とともにあった

この方は初めに神とともにあった 】

の文は、漫画や小説によくとりあげられています



「言」とは、「福音」〔ふくいん・

メシア=イエスが人類に救いの道を開き

悪魔の支配が破られ、神の支配が始まるという喜ばしい知らせ〕

のことでしょう




ただ、文言どおりに解釈すると

「言葉が最初にあり、言葉イコール神であり

言葉によって世界が創造された」

となります



「神」という存在も

人間が言葉によって作り出した

というふうにもとれます



ある意味、言葉によってあらわされるとは

人間の世界に、命がふきこまれて存在できるようになる

ということです



その意味においては、神は実在するし

神を言葉として実在させたのは

人間の願望と言えるわけです


人間は自分を救済するために神をつくったということです






だいたい人間みたいな姿をした「神」なんて

あまりにも人間的な思考ですよ(笑)



じゃ、バッタに絶対者はいるのか?

カエルの世界に主宰者はいるのか?

セミの姿をした創造神はいるのか?

という話になりますが、そんなのいるわけがないですよね(笑)




それから「初めに言(ことば)があった」(聖書)

といいますが

「それじゃ言葉をもたないカエルやヘビはどうなるか」

ということになります


こいつらは言葉よりも

ずっと以前から存在していたはずです




宇宙の全てを成り立たせている存在や原理を「神」と定義し

そんな神が仮に存在していたとしても


四次元、五次元といった世界すら、イメージできない人間が

全てを成り立たせている存在なんて理解しようがありません


なのに、それをモデル化したので

あまりにも人間的な神になってしまったのです





ありとあらゆるモノは、言葉によって定義されたイメージをもちます


人は言葉を作り、そこに何か(世界)があるようにして

それによって規範的また倫理的また秩序的に行動しているのです


人権、自由、尊厳といった言葉はその代表と言えます



だから、よいことも悪いことも、あるグループ

ある社会にとっての都合でしかないのです



そして今は、法律があり、そこに言葉で書かれているから

「やっていい」とか「やっちゃダメだ」とかいう具合になっていますが


法律なんてない時代には「神」がその役目をしていて


神がそう言っているから

「あれはやっちゃいけない」だとか

「これはやっちゃダメだ」とかなっていたり


ときにはシャーマンが、神のおつげを聞いて

いいとか悪いとかを判断したのです



つまり「神」という言葉が、人権、自由、尊厳なんていう

言葉の代わりをしていたのです





神を信じるか信じないかで、天国・地獄がジャッジ(判定)される

なんてのも、人間の都合によりつくられたものですよ


それ以前に、そもそも「神」いう言葉自体、都合によってあるのですが




神がもし全知全能なら、神と人間には

間違えなく人間とサル以上の知能の開きがあるはずです


すると、サルが人間の思考を理解できないのと同じで

人間が神についての概念なんて作り出せるわけがありません



それなのに神についての概念があるということは

それは人間が創造した神についての概念でしかないということです




牛や豚といった存在にすれば人間は、神のような存在です

そんな人間が自分たちの都合によって

牛や豚を改良し殺して食べている


これと同じで、全知全能の神がいたとしても

人間の感情を考慮して行動してくれるとは限らないはずです




それにそもそも、神が、宇宙全ての創造神というなら

人間だけでなく、全ての生物にとっても

神であるはずであり


その神が全知全能であるというならば

人間ばかりにいい思いをさせるのではなく


他の動物の救済をも

考慮されていなければおかしいでしょ





私なんかから言わせると

神を信じて救われると思っている人もいるし

健康なことがなにより幸せだと思っている人もいるのだから


≪神≫という言葉と

≪にんにくたまご≫という言葉の意味に差はないと思いますよ(笑)



これは、自己の「救済原理」

〔自分を成り立たせている根源的な論理。自分を存在させている根拠〕

として差がないということです




但し、最大のマジックは「神」ではなく

「人間主義」「人間」とかいう言葉ではないのですか?



創価学会の池田さんは

≪人間による人間のための人間が幸福になるの宗教≫

とかなんとか言って大変な数(一千万人くらい)

の信徒を集めましたけど(笑)




〔 ちなみに宗教の公称信徒数というのは

いいかげんそのもので

10倍くらい水増ししているんじゃないか?

なんて程度のものですが

創価学会の場合は選挙の得票率である程度わかります


創価学会の信徒は公称では827万世帯

2019年の比例代表の得票数は653万(前回より104万減)


得票のなかには友人の票も多いですが

18歳に満たない(選挙権をもたない)信徒もいます


また、学会員といっても熱心に活動している人は1/10程度です

これら総合して考えると700万くらいはいるのではないかと思います 〕




看護婦のスミちゃん




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