20世紀最大の哲学者 ウィトゲンシュタイン・言語ゲームへの挑戦!!



 言葉と世界


20世紀最大の哲学者

ウィトゲンシュタインへの挑戦


 




≪究極的に理解する≫



人のおよそ全ての価値判断は

≪人間の認識において≫のことですが


真理的なことにしても

≪人間の認識において≫のことと理解すべきでしょう



例えば

天動説が正しかったのが

地動説が正しいとされるようになったり

冥王星が、惑星でなくなったりしましたが


これは

肉眼あるいは精度の低い望遠鏡で観察していた主観(=人間)が

精度の高い望遠鏡で観察する主観へと、進化したからと言えます



まして、人間とは別の主観が現れ

我々の世界を定義したとき

あらゆることが違ってきちゃうのかもしれません



例えば、火が燃えているという現象も

別の主観からは、全く別のことと認識されるかもしれません



それこそ「概念」なんて

人間の作り出したものなので

「物体」という言葉がもつ概念も

別の主観に通用するかあやしいです




加えていうと

人間の世界とは

主観(=人間)の言葉の上に

積み上げられたバーチャルな世界です



バーチャルな世界なわけですから

別の主観が現れ

我々の世界を定義したとき


そこには、全くなにも存在しなかった

ということになる可能性だってあります(笑)




哲学も、物理学も、化学も、数学も …

みんな言葉や文字で思考する論理の世界のモノです


言葉の世界=人間の世界 です



つまり、哲学も、物理学も、化学も、数学も …

みんな人間の認識において保障された

真理や法則iにおいての学問でしかないのです




なので

≪究極的に理解する≫とか

≪全てが解る≫とか

ということは

≪自分が何も解らないことが解る≫

ということなのです




形而上学の正体




Top page


形而上学とは? (ひとつ戻る)


 



 自己紹介
運営者情報




 幸福論




 価値論




 心と
存在




 時間論




Suiseki
山水石美術館




 B級哲学
仙境録