20世紀最大の哲学者 ウィトゲンシュタイン・言語ゲームへの挑戦!!



 言葉と世界


20世紀最大の哲学者

ウィトゲンシュタインへの挑戦


 




形而上学の正体



論理的説明の難しさの増加=

不自然さの増加=

形而上学的な要素の増加

というのが、一般的な思考です


道に車が止めてある → 道で有名人に出くわす →

道に1億円がおいてある → 道でパンダに出くわす →

UFOの存在 → 神や霊魂、死後の世界の存在

というように


不自然さ、論理的説明の難しさが増すごとに

形而上学的な要素が増加していく


これが、形而上学の本質であると考えられています




ウィトゲンシュタインは

「語りえぬものについては、沈黙しなければならない」

という言葉で


結局は

「哲学全般の問題は語り得ない。答えがない」

「答えがないものを、したり顔で語るな」

ということが言いたかったとされています



とはいえ、この彼の言葉も

形而上学についての本質を明らかにしていません

一般的な概念に沿って、語られているにすぎません




形而上学性=バーチャル性を明かすと

本来の言葉の意味に

どれだけバーチャル的な世界が積み上げられているか

で決まるのです




「神」という存在なら

『こまったときに助けてくれて

平等に管理(信じる者は救われる)してくれる存在』

とかいった程度の意味が、本来の意味であるはずです



ところが、そこに

一宗一派の都合=ドグマ(独善) が加わり


カトリックでは、教会を通してしか

神の救いを受けられないが


プロテスタントでは

万人が祭司で、直接、神の救いを受けらる

なんて話が積み上げられていくのです



論理的説明の難しさの増加=

形而上学的な要素の増加 ではなく


逆に、バーチャル世界に

論理をどんどん積み重ねることで


バーチャル性、形而上学性は、大きくなっていくのです







もとオウム真理教の大幹部で

現在はオウムの後継団体の1つ「ひかりの輪」の代表

上祐史浩(じょうゆうふみひろ)さんが

オウムに出家する際、母親にこう語ったそうです



「第三次世界大戦で核戦争がおきて

人々が焼かれるのを防ぐためにも


母さんのためにも 出家しなければいけない

僕たちが一生懸命修行したら、特別な変化がおこって

世の中が真理にもとづく平和になるんだ」



≪第三次世界大戦≫  ≪特別な変化≫

≪真理≫  ≪真理にもとづく平和≫  ≪救済≫  ≪使命≫ ≪人類愛≫

≪解脱≫  ≪宇宙の根本原理≫  ≪宇宙根源の法則≫



このように、宗教の本質とは

人間を言葉の世界にひきずり込むことで


言葉のバーチャルな世界で組み立てられた思考でしか

ものごとを考えられない人間をつくることなのです


それによって【思考の冒険】をできなくすることなのです



言葉とは、それだけ「怖い」ということを

認識しておかなければなりません





とはいえ、価値論 で、明かしたように



創価学会の新聞を毎日新聞が印刷している世の中

言論の自由なんて「嘘」の世の中…



肉を食べれば、家畜の飼料として穀物が多く必要となり

飢餓が増えることを知りつつも毎日、肉を食べ

多くの人を殺している私たち…


これは、家畜を食べているというのではなく

我々先進諸国の人間が肉食獣として

草食獣の発展途上国の人間を食べているのと同じです



それにコンビニのお弁当を食べるたびに

分解しにくいプラスチックを廃棄し

地球すら破壊しようとしている私たち・・・

全てのことが「お金」の世の中…



そんな上に私たちは

「人権」だとか「尊厳」だとか「正義」だとかいった

バーチャルな世界、言葉の世界をつくり上げ

その上にのっかって生活しているのです


つまりゲームの世界だけでなく

現実と信じている私たちの世界そのものがバーチャル

仮想現実の上にのっかった現実なのです




つまり「宗教の信者はおかしい」と言ったところで

我々と五十歩百歩なのです(笑)



また「形而上学を解体した」なんて

のたまわったところで

仮想現実の上で考えたバーチャル的な話でしかない

ということなのです




【 言葉の根拠 編 】

ツチノコとロマン




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