20世紀最大の哲学者 ウィトゲンシュタイン・言語ゲームへの挑戦!!



 言葉と世界


20世紀最大の哲学者

ウィトゲンシュタインへの挑戦


 




言葉の根拠



ウィトゲンシュタインの哲学の究極は


「これはりんごです」という言葉も

伝統的・文化的なルールを根拠として述べられているにすぎない


あらゆる言葉は生活様式のもとに成り立ち、客観的な根拠をもたない


ということであり

これを「言語ゲーム」と表現したということですが



区別として生まれた言葉は、客観的な根拠をもつはずです




日本語では「マグロ」と「カツオ」は

別の言葉で表現しますが

英語では両方とも「tuna」(ツナ)であるというように


「マグロ」という言葉のもつ概念と

「tuna」という言葉のもつ概念では違います




これは、言葉というものが

必要性から、世界を、区別することで

生まれている ということが予測され


魚を生食する日本人にとって

その必要性から

マグロとカツオという言葉が生まてきた

ということが考えられます




そうなると

マグロとカツオという

言葉(記号表現・シニフィアン)自体には

価値はなくとも


存在に価値を与えた結果

言葉が生まれたということになります




言葉というのは、このように

主体における

価値(好・得・利・必要)・反価値(嫌・損・害・不必要)

という価値判断によって、生まれている

ということになります



とはいえ、「マグロ」という言葉の概念も

「tuna」という言葉の概念も

どちらも人間という主体の認識においてのものであり



人間の認識能力に、民族的な差がない以上

そこには、人間の認識能力という客観的な根拠があります




客観的な根拠をもたないのは

区別として生まれた言葉ではなく

その上に構築されているバーチャルな世界なのです





また、コミュニケーション=言語ゲーム を

カードゲームに譬えると


裏のカードは、同情、同意、共感、賞賛、賛同、誘惑

謀略、詐欺、支配、束縛、依存… といった≪思惑≫です


この≪思惑≫を根拠とし

表のカードである「言葉」(論理)があります



表の言葉は「真」のときも「偽」のときもありますが

裏の言葉である≪思惑≫はつねに「真」です



すなわち≪言語ゲーム≫における≪言葉≫は

客観的な根拠がないどころか


真実の言葉であろうと、偽りの言葉であろうと

≪思惑≫という確かな根拠があるのです




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