言葉は配役 話を戻します ウィトゲンシュタインの哲学で 最も肝心なところは ≪世界とは物によって成り立っているのではなく 言語ゲームの集合によって成立している≫ ≪言語ゲームの世界とは 価値や行為が言語と結合している世界である≫ という話です ところが、言語ゲーム すなわち 特定集団の言葉によるコミュニケーション なんかよりもずっとずっと以前に モノやコトに、名称(配役)が与えられ 概念が定義された時点で すでに、その存在の価値(役割)も、規定されているのです 存在は、名前という言葉を与えられることで はじめて人間の世界に実在できます コップとか、ハサミとか、傘とかいった 人間によって価値として創造されたモノはもちろん りんごとか、カブトムシとか、猫とか、山とか、太陽とか、風とか もともと自然界のモノ(存在)やコト(現象)も 愛、平和、神などといった抽象的な概念も 名称を与えられることで 人間の世界に、実在化したと言えます 人間の世界とは あらゆる存在が、人間によって 価値判断されて成り立つ世界といえます すなわち、利か害か 損か得か 好きか嫌いか などが、部屋のチリから宇宙に至るまで 判断されている世界といえます さらに、価値判断がなされているばかりでなく スズムシ(配役) → 秋の夜に風情を演出する(役割) 空き缶(配役) → 資源ごみの日に捨てられる(役割) お父さん(配役) → お金を稼いできて、家族をまもる(役割) というように あらゆる存在は 人間によって、配役(名称)と、役割(機能=価値) が規定されています 人間の世界とは、全てが、名称(言葉)によって 区別され、役割分担されているということです なので、その≪配役≫に反する人は 異端、堕落、反逆などとみなされるのです つまり、言葉の世界が、配役の世界なので 人間の世界に≪秩序≫が生まれ ≪倫理≫が生み出されているのです 言葉の根拠 ツチノコとロマン (ひとつ戻る) |
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