ウィトゲンシュタイン・言語ゲームへの挑戦!! 西田幾多郎の哲学とは



 言葉と世界


20世紀最大の哲学者

ウィトゲンシュタインへの挑戦


 




西田幾多郎と自己対立



西田幾多郎〔きたろう・

1870(明治3)~1949(昭和20)

京都大学名誉教授・文化勲章受章

日本で最も著名な哲学者の一人〕は



自己同一性が実現されず、対立や矛盾があるのは

対立や矛盾を成立させるものがあると考えます



そして「無の場所」という答えを出します



≪自分は死によってなにもない場所に通じているから

“我ならずして”であるけど

自分は現実の世界に存在しているので“我なり”である≫



これが、西田のいう「場」の論理であり

「矛盾的自己同一」のようです



くだらないことをわざと難しく書いているので

よく意味が分からず

「ようです」と表現するしかありません(笑)


学者というのは、ご飯を食べていくために

モノを語らなくちゃならないので、こうなっちゃう(笑)



さらに

≪個と個は、自分とあなたという関係にも

対立や矛盾が成立している

しかし自己は、無の場所に通じ、"絶対無" にある ≫


≪ この絶対無を自覚し、"我ならざるして"を知れば

他者の事も我が事となり、対立や矛盾はなくなる≫


≪本来の自己は絶対他者である≫


といったようなことを主張したようです




西田哲学の中心は

自分は、あなたと対立することで成立し

しかも、絶対同一であり、"我とは我と汝である"

もともと実質的な対立はない

ということです




西田の話は、観念(主観的な考え)の塊ですよ(笑)


このようなデタラメではなく

我々は2つの世界で生きていると言えます



生物の世界において現実を生きている自分

言葉の世界において現実を生きている自分


この二つの現実の自分の対立によって

「自己矛盾」や「自己対立」的なあり方が生まれている

と言えるのはずです




言葉の世界とは、人間の世界です


その上に、我々の生活があり

物理的な活動も、精神的な活動もあります



言葉のバーチャルな世界の上に

≪現実≫というものを経験し


さらなるバーチャルの世界を積み上げ

それを≪現実≫だと思い込んだりもしています


言葉によって組み立てられた世界です




もう1つ我々は、生物としての世界にも生きています

お腹が減ったら食べたいし

病気になれば苦しいし、ナイフで刺されれば痛い


こうした本能と知覚の世界は

そのままが≪現実≫で

ここにも物理的な活動と、精神的な活動があるのです




そして、人間としての世界と

生物としての世界とが平行する

2つの世界が影響しあって


つねに自分という存在に≪価値判断≫をなしている

これが、私たちの世界と言えます




例えば、生物としての世界の自分は

健康で、お腹が満たすことさえできていれば

≪幸福≫を感じることができます



しかし、言葉としての世界の自分は

四畳半のアパートで、一人で生活をしていたりすると

≪貧乏≫とか≪孤独≫とかいう言葉にだまされて

≪不幸≫を感じてしまいます



「幸福」を感じる自分も、「不幸」を感じる自分も

どちもら≪現実≫の自分です



とはいえ、幸福なのに、幸福を理解できないのですから

我々は現実なんて、なにも見えちゃいない

結局、バーチャルな世界に生きていると言えるでしょう




幸福なのに、幸福を理解できない

これは、逆もしかりで


宗教の信者が

悲劇さえも「神の与えた試練」という言葉によって

使命に変え、悲劇に耐えることに幸福さえも感じて生きていける


というように

人間の世界においては


我々は、言葉によって、根拠=幸福 を創造し

すなわち、言葉によって、自分をだまし

生きていくことができるのです


というか、みなそうして生きているのです




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