20世紀最大の哲学者 ウィトゲンシュタイン・言語ゲームへの挑戦!!



 言葉と世界


20世紀最大の哲学者

ウィトゲンシュタインへの挑戦


 




言葉には
意味があって意味がない




言葉というものの性質をみていきましょう



ら抜き言葉は、日本語として正しくないとか


「1万円からお預かりします」とか

「ご注文は○○でよろしかったでしょうか?」は

接客用語として間違っているとか言いますが


ウィトゲンシュタインがいうように

言葉が、本来、単なる記号で

コミュニケーションの道具にすぎないことからすると


むしろ時代によって作り変えられていくことの方が

正しいというか、言葉の本質にかなっていますよね





「近代言語学の父」と呼ばれた ソシュール

〔1857~1913・スイスの言語学者。言語哲学者〕は

シニフィアン(記号表現) シニフィエ(記号内容)

という概念を提示した人です



言葉(=記号)は、シニフィアンと

シニフィエという2つの要素で、成立しているということです



シニフィアンは「海」という文字や、「umi」という音声のこと


シニフィエは、シニフィアンによって意味されたりあらわされる

海のイメージや、海という概念、意味内容のことです





それから、ソシュールは

「りんご」という言葉を考えた場合

「みかん」ではなく「バナナ」ではなく「もも」でもなく


「スイカ」でもなく「さくらんぼ」でもなく…と

「りんご」でないものを永遠に消去していくことになる


つまり、言葉にはもともと意味がない

他の言葉との差異によって意味をもつと考えました



結局、ソシュールの考えからいくと

言葉とは

【現実(世界)を、区別するために生まれたもの】であるのです





また、 フランス人の人類学者、言語哲学者

ダン・スペルベル(1942~・フランス国立科学研究センター職員)と

言語哲学者でロンドン大学教授の ディアドリ・ウィルソン(1941~)は

「関連性理論」というのを唱えています



例えば、会社の同僚と

休憩室でタバコをふかしながら談笑していると

上司がやってきて「この部屋けむいなぁ」と言ったとします


そこで同僚は

「すいません。すぐに窓を開けます」と答えたとします



これは「この部屋けむいなぁ」という

発話者による「発話」から


同僚は「推論」し

「窓を開けなさいということだな」

と発話の意図を理解したということです




また「コーヒー入れますか?」

という問いかけに


「コーヒー飲むと眠れなくなるからね」

と答えると


相手は「いらないんだな」と推論します




そこで「関連性理論」では


言葉には、≪文字通りの意味≫と

≪推論から生れる意味≫がある


我々は

≪相手の言葉は、置かれている状況に

もっとも関連する言葉として語られている≫

と考えて

推論によって、意味を判断している

というわけです





これに対して、言葉には

≪文字通りの意味≫すら

存在しないという人もいます



「気分が悪いので早退します」という言葉は

体調が悪いから早退するのか

頭にきてムカつくから早退するのか分かりません


そういった幾通りもの意味をもつことを≪多義性≫といいます



なので、言葉は固定的、普遍的(常識的)な意味を持たない

言葉は文脈や状況によって意味をもつ

文脈や状況を離れては意味を確定し得ないということです




しかし、彼氏が彼女に「バカだな。こいつ」といいます

この≪バカ≫という言葉の意味は≪可愛い≫ということです


彼氏は、≪バカ≫という言葉の本来の意味を

ちゃんと理解していて、≪可愛い≫という意味に置き換えて

使っているのにすぎません





相手はホントは不快を感じていても

ニコニコして「ありがとう」と言っている場合もあります


逆に、女の子は「いや やめてください」なんて言って

ホントは嬉しがっている場合も多い(笑)



また、相手に好意をもって言った言葉が

相手にイヤミにとられる場合もあるし


逆にイヤミで言った言葉が

相手に善意としてとられる場合もあります



我々の世界とはそういうものです

それでいいのだと思います

コミュニケーションなんてそれで成り立っているのです




もし仮に、相手が

こっちの口にした言葉の意味を全て理解し


自分の思っていることが全部伝わっちゃうとしたら

言葉を口にすることなんてできないですよ



また、こっちも会話から

相手の言葉の意味を全て理解できるようなら

いたたまれなくて、この世界で生きていけないだろうし(笑)



「酔恭さんってスゴイ」なんてホメてくれる

その言葉の裏に

≪キモイ、ウザイ≫といった真の意味

心の中にある陰口を感じ取れたとしたら

ショックを受けて、仕事できなくなってしまいます(涙)




それから例えば、日本で≪スリム≫といったって

飢餓で苦しんでいる国にいったら、小肥りになっちゃいますし

小肥りの人の場合は、大肥りになっちゃいます





以上のように

言葉は、思考のある程度しか表現できない

言葉は、おおざっぱなことしか表現できない


だからこそ人は

言葉の世界に生きていけるのかもしれません



そう考えると言葉というのは

≪意味があってないようなもの≫とも言えるのです






新しいモノが発明されると

≪携帯電話≫とか≪スマホ≫とか名前が付けられ

その言葉が意味をもつようになります


別の名前が付けられていたら

その名前がその意味をもつようになります


もし、ボールペンに、コップという名前がつけられていたら

コップがボールペンだったということになります



そう考えると、言葉とは単なる記号なのかもしれないですよね


「初めに言(ことば)があった」(聖書)ではないわけです



すると、言葉自体には、本来意味がない

だけど言葉は意味をもつ

だから、言葉は≪意味があってないようなもの≫

とも言えるのです




言葉は無価値



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