言葉には 意味があって意味がない 言葉というものの性質をみていきましょう ら抜き言葉は、日本語として正しくないとか 「1万円からお預かりします」とか 「ご注文は○○でよろしかったでしょうか?」は 接客用語として間違っているとか言いますが ウィトゲンシュタインがいうように 言葉が、本来、単なる記号で コミュニケーションの道具にすぎないことからすると むしろ時代によって作り変えられていくことの方が 正しいというか、言葉の本質にかなっていますよね 「近代言語学の父」と呼ばれた ソシュール 〔1857~1913・スイスの言語学者。言語哲学者〕は シニフィアン(記号表現) シニフィエ(記号内容) という概念を提示した人です 言葉(=記号)は、シニフィアンと シニフィエという2つの要素で、成立しているということです シニフィアンは「海」という文字や、「umi」という音声のこと シニフィエは、シニフィアンによって意味されたりあらわされる 海のイメージや、海という概念、意味内容のことです それから、ソシュールは 「りんご」という言葉を考えた場合 「みかん」ではなく「バナナ」ではなく「もも」でもなく 「スイカ」でもなく「さくらんぼ」でもなく…と 「りんご」でないものを永遠に消去していくことになる つまり、言葉にはもともと意味がない 他の言葉との差異によって意味をもつと考えました 結局、ソシュールの考えからいくと 言葉とは 【現実(世界)を、区別するために生まれたもの】であるのです また、 フランス人の人類学者、言語哲学者 ダン・スペルベル(1942~・フランス国立科学研究センター職員)と 言語哲学者でロンドン大学教授の ディアドリ・ウィルソン(1941~)は 「関連性理論」というのを唱えています 例えば、会社の同僚と 休憩室でタバコをふかしながら談笑していると 上司がやってきて「この部屋けむいなぁ」と言ったとします そこで同僚は 「すいません。すぐに窓を開けます」と答えたとします これは「この部屋けむいなぁ」という 発話者による「発話」から 同僚は「推論」し 「窓を開けなさいということだな」 と発話の意図を理解したということです また「コーヒー入れますか?」 という問いかけに 「コーヒー飲むと眠れなくなるからね」 と答えると 相手は「いらないんだな」と推論します そこで「関連性理論」では 言葉には、≪文字通りの意味≫と ≪推論から生れる意味≫がある 我々は ≪相手の言葉は、置かれている状況に もっとも関連する言葉として語られている≫ と考えて 推論によって、意味を判断している というわけです これに対して、言葉には ≪文字通りの意味≫すら 存在しないという人もいます 「気分が悪いので早退します」という言葉は 体調が悪いから早退するのか 頭にきてムカつくから早退するのか分かりません そういった幾通りもの意味をもつことを≪多義性≫といいます なので、言葉は固定的、普遍的(常識的)な意味を持たない 言葉は文脈や状況によって意味をもつ 文脈や状況を離れては意味を確定し得ないということです しかし、彼氏が彼女に「バカだな。こいつ」といいます この≪バカ≫という言葉の意味は≪可愛い≫ということです 彼氏は、≪バカ≫という言葉の本来の意味を ちゃんと理解していて、≪可愛い≫という意味に置き換えて 使っているのにすぎません 相手はホントは不快を感じていても ニコニコして「ありがとう」と言っている場合もあります 逆に、女の子は「いや やめてください」なんて言って ホントは嬉しがっている場合も多い(笑) また、相手に好意をもって言った言葉が 相手にイヤミにとられる場合もあるし 逆にイヤミで言った言葉が 相手に善意としてとられる場合もあります 我々の世界とはそういうものです それでいいのだと思います コミュニケーションなんてそれで成り立っているのです もし仮に、相手が こっちの口にした言葉の意味を全て理解し 自分の思っていることが全部伝わっちゃうとしたら 言葉を口にすることなんてできないですよ また、こっちも会話から 相手の言葉の意味を全て理解できるようなら いたたまれなくて、この世界で生きていけないだろうし(笑) 「酔恭さんってスゴイ」なんてホメてくれる その言葉の裏に ≪キモイ、ウザイ≫といった真の意味 心の中にある陰口を感じ取れたとしたら ショックを受けて、仕事できなくなってしまいます(涙) それから例えば、日本で≪スリム≫といったって 飢餓で苦しんでいる国にいったら、小肥りになっちゃいますし 小肥りの人の場合は、大肥りになっちゃいます 以上のように 言葉は、思考のある程度しか表現できない 言葉は、おおざっぱなことしか表現できない だからこそ人は 言葉の世界に生きていけるのかもしれません そう考えると言葉というのは ≪意味があってないようなもの≫とも言えるのです 新しいモノが発明されると ≪携帯電話≫とか≪スマホ≫とか名前が付けられ その言葉が意味をもつようになります 別の名前が付けられていたら その名前がその意味をもつようになります もし、ボールペンに、コップという名前がつけられていたら コップがボールペンだったということになります そう考えると、言葉とは単なる記号なのかもしれないですよね 「初めに言(ことば)があった」(聖書)ではないわけです すると、言葉自体には、本来意味がない だけど言葉は意味をもつ だから、言葉は≪意味があってないようなもの≫ とも言えるのです 言葉は無価値 言葉の本質 (ひとつ戻る) |
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