言葉の本質 ① ウィトゲンシュタインは 言葉に固定化された意味、普遍的な意味はない といいますが 言葉の本質はそういったものではありませんよ(笑) 言葉の本質は ≪パラダイム(固定観念)によって 世界が固定化される≫ということなのです その固定化された言葉の世界は、優越や恐怖 あるいは 願望や期待などといった感情や価値と一体であり それが人の認識を誤らせているのです 宗教の教義なんていうものは、固定観念の塊で 信者はさらにその上に 自分の知識や経験によって ≪確信≫とか≪体験≫とかいった固定観念を組立てていくのです 例えば、ホントかどうか知りませんが ノミは、30センチくらいジャンプできるらしいのですが 小さな箱で飼育していると その箱の高さまでしか飛ばなくなってしまうそうです これは、ノミがバーチャル的な自分を 本当の自分と思い込んでいるということです 人間の場合は、こうしたことが 言葉の作用によって起こるのです 例えば、車=幸福 結婚=幸福 というように 車、結婚、マイホームなどといった言葉に 社会が、妄想の世界、バーチャルな世界を与えると 車を買えない人、結婚ができない人 マイホームをもてない人は、不幸を感じてしまうことになります 戦中の日本の国民は 明治政府がつくった国家神道により 天皇は現人神(あらひとがみ)で 国民は天皇の赤子(せきし・赤ん坊の意)であり 日本は神国(しんこく)であると信じ込まされていました この≪神国≫という言葉に 多くの国民が命を投げ出したことでも 言葉による≪暗示効果≫が どれほど大きなものかがうかがい知れます 世の中の間違いの多くは 言葉によって操られて起きています イスラム世界の≪聖戦≫なんてまさにその象徴です また≪ユダヤ民族≫という言葉に ≪神に選ばれた選民≫なんて世界を与えると 他の民族を排除してもかまわない なんていう道理が生まれてくるのです 人間は≪死≫という言葉のもつ世界を恐れて 神を信じる者は天国に行けて、信じない者は地獄に行く なんていう世界観をも創造しました このように言葉は麻酔なのです マジックでもあるのです また、こうした言葉の効果は あらゆる分野で用いられていて "バイク王"や、"カラオケの鉄人"なんていう 企業名や店名は、バーチャルな世界を 知覚させる効果をねらっています "スリムドカン"というサプリメントを販売し ずっと長者番付1位となっている人もいます 商品名が、≪う○こがドカンと出て痩せられる≫という 世界観を暗示させているのです(笑) 言葉の本質 ② 人間は、会社が倒産したりすると 人生が終わったがごとく思って自殺したりする人もいます 受験に失敗したというだけで自殺する人も 失恋しただけで自殺する人もいます ですが、バッタは、蓄えていたえさが腐って ダメになったからといって自殺なんてしないですよね えさがダメになったら、また捕ってくればいいだけのことです 「でも、バッタと人間とじゃ比べられないんじゃないの?」 と思いましたか 逆ですよ 人間のことを知りたかったら 動物や植物を観察することが早道なのです なぜなら、人間の世界は 人間自身がつくった様々な言葉のマジックで充たされています そこから人間について研究したところで 言葉にだまされてしまうからなのです 倒産したからといって 毎日、爆撃されるなか生きている人に比べたらよほどいいし 今日食べるものがないという国の人に比べたら どれだけ幸せかしれません つまり現実よりも、倒産したとか、受験に失敗したとか 失恋したとかいった言葉のもつ世界に衝撃をうけてしまうのです 言葉そのものより 言葉によって定義されたイメージが問題なのです 人はそれだけ、言葉がもつ妄想の世界 言葉のもつバーチャルな世界に とらわれて生きているということなのです 結論からいうと ≪人間の世界とは 言葉によって組み立てられたバーチャルな世界である≫ ということです バーチャルリアリティーとは、仮想現実と訳されます コンピューターが作りだした空間を 現実のことのように知覚させる技術 またその世界のことを、バーチャルリアリティーと言います 言葉はそれと同じで 我に、仮想現実・バーチャル世界を認識させているのです すなわち、コンピューターの ゲームの世界だけがバーチャルなのではなく 我々はもともとバーチャルな世界に住んでいるのです 言葉の本質 ③ ≪言葉によって組み立てられたバーチャルな世界≫ とはなにか? 言葉はモノやコトを区別するために生れたものですが それだけでなく、我々はそこにバーチャル的な概念を積み上げ その上にのっかって生活しています つまり、我々は 対象そのものに対するイメージや概念の上に さらにバーチャル的な概念を積み上げ その上にのっかって生命活動を営んでいるのです 我々の世界は、言葉の作り出す 世界の影響のもとに成立しているのです 言葉のもつバーチャル的な概念の総体こそが 人間の世界なのです 価値論で、このように↓書いたとおりです 結論を言うと 創価学会の新聞を毎日新聞が印刷している世の中 言論の自由なんて「嘘」の世の中… 肉を食べれば、家畜の飼料として穀物が多く必要となり 飢餓が増えることを知りつつも毎日、肉を食べ 多くの人を殺している私たち… これは、家畜を食べているというのではなく 我々先進諸国の人間が肉食獣として 草食獣の発展途上国の人間を食べているのと同じです それにコンビニのお弁当を食べるたびに 分解しにくいプラスチックを廃棄し 地球すら破壊しようとしている私たち・・・ 全てのことが「お金」の世の中… そんな上に私たちは 「人権」だとか「尊厳」だとか「正義」だとかいった バーチャルな世界、言葉の世界をつくり上げ その上にのっかって生活しているのです つまりゲームの世界だけでなく 現実と信じている私たちの世界そのものがバーチャル 仮想現実の上にのっかった現実なのです ≪言葉のもつ世界・言葉の作り出す世界≫とは ≪個人や社会の世界観が投影された言葉の世界≫であり 具体的には ≪自分の知識や経験でものごとをみてしまう パラダイムが、投影されたバーチャルな世界≫と ≪常識や人気、しきたりやしがらみなどといった 世間のパラダイムが、投影されたバーチャルな世界≫ のことです "現代のベートーベン"とまで言われた全聾の作曲家が じつは全聾でもなければ ゴーストライターもいたことがのちにバレてしまって ペテン師あつかいされ ゴーストライターによる謝罪の記者会見が行われた なんてことがありましたね しかし、私から言わせれば みんながみんなバーチャルな世界をつくることで ご飯を食べているわけで まして、芸術や音楽や宗教の本質って 「そこでしょ」って話なのですよ(笑) 唯一「悪い」と言えば「バレちゃった」ことだけなのです 言葉には意味があって意味がない 実存主義と構造主義 (ひとつ戻る) |
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