言葉の力 【 盲目の老人が「私は盲目です。お金をめぐんでください」 というメッセージをダンボールに書き、路上に座っていました しかし、なかなかお金をめぐんでくれる人がいなかった そこに女性が現れ、勝手に、老人のメッセージを書き換えてます すると、急に街を歩く人が、老人にお金をくれるようになりました 女性はどのようなことを、書いたたのでしょうか? 女性は、老人と同じことを、別の言葉で表現したにすぎません 女性は「素敵な一日だね。でも僕には見えないんだ」 と書き直したのです 】 というYoutubeで話題となった有名な話があります 要するに、情緒的な表現は 人の感情に訴えかけることが可能である= The power of word(言葉の力) ということです こうした表現を、誰よりも得意としたのが 創価学会の池田会長です 中学生向けに書かれた 「希望の対話」① 21世紀を生きる君たちへ(聖教新聞社) にこうあります ≪蝶は、幼虫のときの自分とは、「まったくちがった自分」になっている 冷たい空気に身をさらしながら、しおれた羽を、だんだん広げていく やがて、色とりどりの美しい大きな羽が完成します そして二度、三度、羽を動かすと、あっという間に大空へ羽ばたいていく いわば「第ニの自分」の誕生です。人間にも「第ニの誕生」がある お母さんから生れたときを「第一の誕生」としたら 自分が自分の羽で飛び始めたときがある それが多くの人の場合、十三歳、十四歳の中学生時代かもしれない 「成長」のときだからこそ いっぱい「悩み」があるんです。走れば「風」が起こる 山に登れば息が切れる。それと同じで、成長しているから「悩み」がある 「希望」と「悩み」の戦いが青春時代です 自分の心の中で、どっちが勝つか、その競争です 私は、中学生のみなさんの全員が、晴れ晴れと「勝利」してもらいたい 「素晴らしい日々だった!」と満足できる青春であってもらいたい そのためなら、なんだってしてあげたい 「希望」を贈りたいし、「勇気」を贈りたい ≫ 他にも高校生向けに書かれた 「青春対話」③ (聖教新聞社) 良書との語らい には ≪ 自分の人生は一回きりだが 読書によって、何百、何千のほかの人生に触れることもできるし 二千前の賢者と話もできる ≫ ≪ 読書は、旅のようなものです。東へ西へ、南へ北へ 見知らぬ人たち、見知らぬ風景に出あえる しかも、時間の制約もない。アレキサンダーとともに遠征したり ソクラテスやユゴーとも友だちになれる。語り合える ≫ ≪ 読書には、人生の花があり、川があり、道があり、旅がある 星があり、光があり、楽しみがあり、怒りがあり、大いなる感情の海があり 知性の船があり、果てしなき詩情の風がある ≫ ≪ 何しろ、人類の古今東西の精神の「宝」を 自由自在に味わい、くみ取り、使いこなしていけるのだから その人こそ「心の大富豪」です お金で言えば、銀行を幾つも所有しているようなものだ いくらでも引き出せる ≫ ≪ 良書は、教師であり、先輩であり、父であり、母のごとく偉大な存在です 良書は、そこに「智慧の泉」があり、「命の泉」があり 「星」があり、人の「善なる魂」があるのです ≫ 「青春対話」③ (聖教新聞社) 歴史との語らい には ≪ 歴史を学ぶことは、自分が、その時代を生きることになる そこには熱血の革命児もいれば、裏切りの卑劣漢もいる 栄華の権力者もいれば悲劇の英雄もいる 安穏を求めながら、流浪しなければならなかった民衆もいる 戦乱と、その合間の、わずかな木もれ日のような平和がある 今から見れば迷信にしか見えないことのために、大勢が命を奪い合ったり また人間愛のために自分を犠牲にしていった人もいる 極限の苦悩から立ち上がって、不可能を可能にした偉人たちもいる そういう歴史の絵巻を、距離感をもって見ることもできるし そのまっただ中に入って見ることもできる 歴史は、人間の心の映像です わが心に、歴史のドラマの映像を映していくのです そこから、自然のうちに、大きな目で、ものごとを見られる自分になっていく 滔々たる歴史の大河の最先端にいる自分というものを考えられるようになる ≫ とあります 池田さんという人は言葉の天才であったゆえに 人間を言葉の世界にひきずり込むことができたわけです 池田さんは、情景が心に広がっていくような表現ばかりでなく 「ドドドド ドン」と迫撃砲のように人の心に言葉を打ち込んでいく 表現もお手の物です それによって、人間の感情をどんどん揺さぶってくるわけですから 言葉の世界にひきずり込まれてしまうのも無理はないのてす 依存してしまうのも無理はないのです 結論をいうと、池田さんがいいとか悪いとかは別として (そんなことどうでもいい) 人間の世界が言葉の世界 言葉で組み立てたバーチャルな世界であることを知らないと こうした言葉の世界に自分の根拠を求める 人生で終わってしまうということです 真実を見極めたかったら 言葉のもつ価値的な要素をすべて排除し その言葉自体の概念が 真なのか偽なのかを吟味していかなければなりません 例えば、≪相対性理論≫という言葉は 【アインシュタインという最大の天才が発見した絶対的な真理である】 といったような世界を持ちます こうした価値的な要素を排除して 相対性理論自体、ホントに真なのか偽なのかを見極めていく そういう思考でないと、ものごとを明らかに見ていくことなどできない ということです 【 形而上学の正体 編 】 形而上学とは? 言葉とお金 (ひとつ戻る) |
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