永遠に○○民族 自分の信念や良心においては 全てが自由というか勝手です それは誰がどうしたというのではなく 生命の仕組みとして自然にそうなっているのです 私自身、生命の永遠性 (霊魂や阿頼耶識などの存在)を強くではないですが どちらかというと信じています というか信じたいという欲求があります 人間は、人間の五感で認識でないことは利用できません 電気を「雷」「静電気」として認識できたから こうして利用できているわけで 存在はあっても認識できなければ、存在しないのと同じなのです それゆえ、人間が科学で説明できるのは 宇宙の法則は、ほんのわずかだと考えられています なので、生命の永遠性を信じるから というだけでは、非科学的とは言えないでしょう とはいえ、物理的な思考をも つまり、ガラガラポンのような思考をも 一緒にもっていないと 宗教の信者のように 自分の信じたいコトを信じた というだけの人生で終わってしまいます また、ガラガラポンのような共通認識をもたない限り ユダヤとアラブのような宗教対立は、いつまでも解決しません イスラエルの人は、自分は永遠にユダヤ教徒であり ユダヤ民族として神に救済されると思っているし パレスチナの人は、自分は永遠にイスラム教徒であり アラブ民族として神の救いを受けられると思い込んでいます 民族主義、宗教の独善主義の根源にあるのは 自分は永遠に○○民族であり続けられる また、自分は永遠に〇〇信徒であり続けられる という思い込みですが 私から言わせるとそうした思い込みからくる ≪日本民族の誇り≫なんてものは 結局、≪しらけないためのもの≫なのです こんなこと言うと 日本の精神を尊ぶ右翼の人とかに 怒られてしまうかもしれませんが(笑) 今年の運動会では、自分は赤組になったけど 来年の運動会では白組になるかもしれない 「だから赤組を応援しても意味ないや」 なんて言ったらどうですか? しらけちゃうでしょ 「今は日本人でも、ガラガラポンで いずれは中国人だったり アメリカ人になったりするんだ」 「だから、日本人の誇りなんていらない だから文化なんていらない」 なんて言ったらしらけちゃうのです オリンピックはもり上がらないし 人生そのものがしらけちゃうのです そこで、運動会で「赤勝て、白勝て」ともりたてるように 日本人でいるときは 「日本人としての誇りを持ちましょう」 「日本の文化を大切にしましょう」 「国際舞台で活躍する日本人を応援して しらけないようにしましょう」 というたてまえ、というか理屈が ≪日本人としての誇り≫なんていう バーチャル的な精神です 空にある星が急に明るくなったかと思ったら 爆発して消滅しちゃうなんてことはよくあります その星の光が届くまで○○光年かかるというから 地球でそれを見たときは その星はずっとずっと昔に消えてしまっているのです そのとき私たちはどう思いますか? 別に何も思わないませんよね その星に何10億という人類が存在していたとしても 我々はなんとも思わないということです まして1つの星の1民族の「誇り」とか「美徳」など 宇宙的観点からしたらなんの意味もないのです ナチスに協力した 20世紀最大の哲学者と称される ハイデガーもそうでしたが 本気で≪民族の誇り≫なんて言っている教授がいたら その方は少しおつむが足りないのですよ(笑) 逆にいうと 私たちの先祖は 我々の人生がしらけないよう 色々と要素を考えてきてくれているのです 日本という国、日本人という民族 この2つのストーリーを成り立たせるために 様々と要素を考えてきてくれているのです その要素が 日本人固有の精神〔神・善悪・美徳などに対する観念〕 日本人固有の美意識〔侘び寂や雅など〕だったり 天皇制だったりするのです じゃがいもも「煮っ転がし」や「カレー」にすると楽しいですよね 「じゃがいもも、にんじんも、玉ねぎも、肉も、別々に食べたって お腹の中に入れば同じだ」と言えばそれはそうなんだけど それじゃ、しらけちゃいます そこで、食事というストーリーを楽しむため 煮っ転がしやカレーという要素を考えたわけです それと同じです 民族というのは、文化において成り立ち 文化の本質とは1つには 他の集団との差異、区別、もっというと差別です 千葉県浦安市では 東京ディズニーランドでの成人式が 毎年恒例となっているそうですが 日本民族の成員となるための成人式が ディズニーランドって(笑) 政治家も、学校の先生も、参加する青年も、その親も・・・ みんな頭おかしいんじゃないのかな? アメリカ人になるのですか ?(__!)?(!__)? ≪文化≫ってものも ≪民族≫ってものも なにも解っていないということですよ(笑) 浦安市の属する下総国一宮 香取神宮ですべきが もっとも本筋に近いはずです これは、右とか左とか関係なく 中立というか、あたりまえの思考ですよ(笑) ちなみに文化のもう1つの本質とは「暇つぶし」です まず「文明」というものがあります これは人間が、簡便(簡単で便利)や安全に 生活を送るために発明し、発達させてきたモノやコトです 例えば、水を手ですくって飲むより、コップで飲む方が効率がいい そこでコップというモノ=文明が生まれます そのうちそのコップに彫刻をしたり 色づけしたりという「文化」が生まれたわけです また、家という文明に、絵や花を飾ったり 石の置物を飾ったりという「文化」が生まれたのです このように文化とは ≪文明に「遊び心」が加わることで、生まれる現象≫ と言えます そしてこの「遊び心」の 地域的な差異、区別が 文化の違いということになります また、人間にとって 暇というのは、お腹が減っているのと同じくらい辛いのです そこで私たちは暇をうめるために 多種多様な文化を楽しむのです 「恐怖」は、本来、動物としての本能では避けます ところが、暇つぶしに ジェットコースターやホラー映画 バンジージャンプなんかを 楽しむ文化までが生まれたわけです 毎日がガラガラポン メダカ理論 (ひとつ戻る) |
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